甘樫丘東麓遺跡(奈良県明日香村)で建物跡出土
奈良文化財研究所の発表(2005.11.13)によると、奈良県明日香村の甘樫丘東麓(あまかしのおかとうろく)遺跡で、掘立柱建物5棟や塀の遺構が出土しました。
今回の発掘は国営飛鳥歴史公園の整備に先立ち、約725平方メートルが調査されたものでした。甘樫丘の東側のふもとの起伏の激しい場所を大規模に整地していたことがわかったほか、直径20〜30センチの柱穴が20個以上見つかりました。建物は南北10.5メートル、東西3.6メートルのものなど、いずれも小規模で、全容や用途は不明です。塀は長さ約12メートル分が出土しており、周辺には幅0.8〜1メートルの溝が見つかり焼けた石や土、炭が出てきています。土器も出土しており、7世紀前半のもの以外に7世紀後半のものも見つかりました。
日本書紀によると、蘇我氏親子は644年に甘樫丘に家を並べて建て、蝦夷邸が「上の宮門」、入鹿邸が「谷の宮門」と呼ばれました。邸宅は城柵で囲まれ、また、門のそばに武器庫があり、武装した兵が警護したと記されています。
甘樫丘は、飛鳥板蓋宮や飛鳥寺を見下ろす場所にあります。過去に六回調査されており、1994年に今回の調査区からわずか約三十メートルの谷地で七世紀中ごろの焼けた壁土や建築部材が大量に出土しています。焼け土の層は近くの尾根を取り巻くように広がっており、尾根上にあった蝦夷邸が炎上し、一部が滑り落ちたとみられています。
今回の建物跡は蘇我入鹿邸宅跡の可能性が高いとみられていますが、調査担当の豊島直博研究員は「土器の年代幅を限定しにくく、調査面積も狭かった。」としています。和田萃京都教育大教授は、「見つかった建物跡は7世紀前半から半ばのものとみていいのではないか。しかし、建物規模が小さく、入鹿の「谷の宮門」だったとしても主要部分ではなく付属施設だろう。」とコメントしました。
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