志賀直哉「城の崎にて」に学ぶ
白樺派の志賀直哉の短編では「城の崎にて」が知られていて、写生文のお手本と言われます。中でも「自分」が宿の二階から蜂の行き交いを観察して過ごしていると、やがて一匹が死んでいるのを見つけ、しばらく眺める下りが特に賞賛を浴びるところです。志賀自身が後に振り返った一文に、出来に満足していたことが伺えます(岩波文庫版「あとがき」に収録)。
この作品は、ドラマあるいはストーリーテリングを求めてはいません。大怪我の療養中である「自分」が、蜂やいもりやねずみの死に見えて、それぞれの情景に死生観を重ねる文章で、うじうじと陰気臭いだけの私小説のようにも思えます。
しかし、橋本治が『「わからない」という方法』(集英社新書)136-137ページに指摘するとおり、「城の崎にて」で特筆されるのは写生文の見事さ、簡便ながらその場のありようを要領よく描く文章の美しさです。志賀直哉も「・・・事実ありのままの小説で、ねずみの死、蜂の死、いもりの死、皆その時数日間に実際目撃したことだった。そしてそれから受けた感じはすなおにかつ正直に書けたつもりである。・・・」(「あとがき」より)としています。状況を描写すること、説明の要不要を踏まえてきちんと記述することの難しさを感じるものにとっては、まさにお手本となります。蜂の一節を読むと、玄関屋根全体の眺めから、クローズアップされた蜂が羽目に消え、それと代わるように出てきた別の蜂が身繕いを済ませると植え込みへと飛んでいって見えなくなるシーンが、まるで映画のように脳裏に描かれます。短絡や飛躍のない文章がするすると連なり、くどくなったり後戻りしたり迷ったりすることがありません。
こうした記述、描写の技術は、文筆家の必須ですが、建築家にもまたあって然るべきです。自らの設計を的確に捉えなおし、構成を整える時には、文章による記述は有効です。また、施主への説明がすっきり明解にされれば、建物の利用が上手く始められることでしょう。もし言葉による理解が建築の利用形態を導くとしたら、建築家はもっと文章を書いて研究するのがいいと思われます。